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- 守山村(近世)とは
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守山村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
守山村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
守山村(近世) 江戸期~明治7年の村名滋賀郡のうち「輿地志略」には森山村とあり「湖東野洲郡守山と区別するため森山と書く」としている江戸初期~幕末まで幕府領大津代官所支配比良【ひら】山地金比羅谷から流れる野万子川の流域で,北国街道の周辺に集落がある地名の由来は,小字追い木(老の木)に,昔,スギやヒノキが茂り森や山のようであったところによるこの地の田畑は,その時代の木の根が残っており,深耕できなかったという(木戸の里めぐり)楓樹の名所である検地は慶長7年天保15年1反18歩の新田検地が行われた(守山共有文書)村高は「寛永高帳」418石余で,以後変わらず(元禄郷帳・天保郷帳),「旧高旧領」は419石余寛延4年,北船路村と浜地の境界に関して出入があった(北船路共有文書)天保5年惣山の分山帳が数多く作成され,中期以降の階層分化の進展による新しい動きをみせた明治5年滋賀県に所属同7年北船路村と合併し八屋戸【はちやど】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
守山村(近世) 江戸初期に見える村名備前国上道郡のうち慶長18年の池田忠継宛行状写(新訂訳文作陽誌下)に「上東郡守山村之内百十七石」とあり,森本作兵衛に当地などが宛行われている比定地は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」